
現在、小江戸川越と呼ばれている地域は、奈良時代や平安時代には、三芳野という地域であり、そこからみよしの里と呼ばれていたそうです。
現在の川越市は人々が生活しやすい平地の地形である所がほとんどなのですが、この頃の川越の地形は市内の南東部は海であったという説があります。
古くからみよしの里は詩などに詠まれることも多かった風情のある地域でした。
平安時代には現在の喜多院となる、無量寿寺が作られ、この喜多院には後に江戸城の建物の一部が移築されましたので、このあたりも含めて川越が小江戸と呼ばれているのです。
小江戸川越と関係が深いとされているのは、鎌倉時代や室町時代に活躍した河越氏です。
河越氏は平安時代には既に力を持っていて、荘園を開き、鎌倉時代や室町時代には強い権力を持った武士となりました。
河越氏の活躍は室町時代に入った所で終わりを迎えることとなりましたが、その後もその名前は残り、河越城などが建てられています。
江戸時代に入り、日本の中心が江戸に定まったことにより、川越地域では、江戸幕府に大きな影響を持つ人を送り込んだり、江戸幕府の政治に関わったりすることが多い地域でもありました。
例えば、江戸時代には大老という名誉ある役職がありましたが、この大老を務めることが多かったのが、川越の藩主を務めていた人たちでありました。
川越は江戸から近い地域にあったことから、早くから道路や川を整備して、陸便や舟便の物流に力を入れてきました。
その名残や風情ある場所は今も小江戸川越の町並みの中に数多く残っています。
川越が小江戸と呼ばれ始めたのは、まだ江戸時代の最中であった1600年代のことです。
今も賑やかに行われている川越まつりが始まったのも、ちょうど川越が小江戸と呼ばれ始めたこの頃からだとされています。
この後、明治時代に入って川越町となり、大正時代に入って川越市となり、昭和時代には隣接する村を合併して、現在の川越市となっています。
小江戸川越は、小江戸川越に関する情報サイトです。
小江戸川越を訪れるために、近隣の場所からアクセスがしやすいことも、小江戸川越が観光地として人気があ・・・・